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2010年11月施行/創立九十周年記念誌より

創立90周年を迎えて 学校長 小林 薫


 本校は大正9年(1920年)4月に、現在の北区滝野川1丁目に東京府北豊島郡立商工学校として開校し、本年で満90年を迎えました。明治維新後の殖産振興政策が施され50年の時を超えて、大正時代に入り益々各種産業が活発になり、商業簿記従事者や製造技術者が不足する状況がありました。校長室等にある様々な資料から推察すると、開校当時は飛鳥山を中心に大蔵省造幣局や王子製紙鰍ネどの事業者が集まり、関連する企業も集まっていました。そこで北豊島郡教育会が中心となって商業科と工業科(機械、電気)を併せ持つ中等学校として設立されたものと思われます。創立50周年記念誌によれば、渋沢栄一子爵や古河虎之助男爵など多数の地域有識者が寄付金を提供して開校したとあります。開校の半年後には附設補習夜学校が開設され、現在の定時制教育につながる歴史が始まっています。
  90年の間には、様々なことがありました。大正12年は郡制度廃止に伴い、校名を東京府立滝野川商工学校と改称しました。その9月1日に関東大震災が発生し大きな混乱が起きました。昭和10年には、板橋区板橋町(現富士見町)に新校舎を建て移転して来ました。同時に校名が変更となり、東京府立商工学校と称しました。昭和18年4月に、組織及び名称の変更があり東京府立北豊島工業学校と名称変更したのもつかの間、その7月には都政の変更により、東京都立北豊島工業学校と再び名称変更となりました。そして第2次世界大戦終結後の昭和23年、教育制度の変更により校名が現在の東京都立北豊島工業高等学校になりました。戦後は重厚長大産業の発展と団塊世代の進学保障を考慮し、昭和38年前後に都立工業高校が10校誕生しました。その後は、オイルショックやバブル経済崩壊、就職の冬の時代などもありました。また少子化による生徒減少時期を迎えるに当り、高等学校の適正規模確保のため、統廃合が開始され工業高校も整理縮小対象となり歴史ある学校が次々に閉校や閉課程となりました。そんな中、本校は時代の要請を受け止め、平成5年ごろより教育課程の変更と新校舎竣工を成し遂げました。機械科・電気科・電子科を融合させ総合技術科を誕生させました。また、この総合技術科の教育課程を実現できる施設として現在の校舎が建設されました。このように先進的な学校改革を行っていたことと優秀な卒業生を多く輩出していたことなどから、統廃合の計画に乗らずめでたく90周年を迎えることができました。これも偏に歴代校長先生方をはじめ、教職員、保護者、白亜会及び地域住民の皆様方の絶大なるご尽力があったからであると、あらためて感謝する次第です。
  校訓「自治」《実力主義・努力主義・反省主義≫を教育理念の柱として、「誠実な匠・技術者を育む北豊島」や「地域に愛され、地域に信頼される工業高校」をスローガンに、現在も社会に有為な技術者を輩出する学校として取り組んでおります。設備拠点校として最先端の設備を導入し、基礎基本の学習から最新技術まで学習できる環境を整えています。また、他の工業高校生や近隣の小中学校の児童・生徒にも施設解放して、ものづくりの楽しさを体験してもらっています。平成21年6月には環境省推奨のエコアクション21の認証を取得し、学校全体で環境教育を推進しています。資格取得指導では、電気工事士、工事担任者、危険物取扱者、各種の認定試験など多くの分野で多数の合格者を出しています。今後は、新学習指導要領に基づいた教育課程、および都教育委員会の指定によるデュアルシステム導入に向けた教育課程を編成し、時代と共に変革し地域の要望に応える工業高校として発展する所存です。
  これまで本校にご支援ご協力ご理解をいただきました、関係各位及び地域の皆様に心より御礼申し上げますと共に、今後とも本校への変わらぬご支援ご協力及びご指導ご鞭捷を下さいますようお願い申し
上げます。
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